産後8か月頃のある夜、授乳中に突然の激痛が!
場所は右目下。もう、痛くてのたうち回りました。
病院をはしごし、結果「副鼻腔炎だから抗生物質で治します。母乳はあげないで捨ててね」と医師から言われてしまいました!!!
哺乳瓶なんてほぼ使ったことがなく離乳食も初期段階で、医師からの診察を受けてすぐは自分の症状よりも「赤ちゃんの食事どうしよう…」そんなことばかり頭に巡りました。
ドタバタの『副鼻腔炎体験』です。
右目下の激痛に、のたうち回る
秋のこと。20時頃、8か月の次女に授乳をしていました。
次女は哺乳瓶とミルクが嫌いでしたが、幸い私の母乳がよく出ていたので、少量の離乳食と母乳ですくすく成長していました。
授乳中「ねむいな~」と思いながら、いつものように壁によりかかって娘を抱いて飲ませていると、ふいに右目の下に、違和感を覚えました。
「ん?なんかちょっとズキズキする…」
しばらく様子を見ていたのですが、ズキズキは激しくなっていき、とうとう次女をだっこすることができなくなりました。
次女をなんとか床に敷いた布団に置き、私は痛みのあまり「うおーー!!」と叫びながら床にうもれ、そんな私を見た3歳の長女が驚いて固まっていました。
「お父さんを呼んで…」痛みの中でようやくその言葉を口にした私。長女は急いでお風呂に入っている主人を呼んできてくれました。
そのあとは怒涛の展開です。
近所に住む両親に助けを求め、子守をお願いし、私は痛みですごい形相になりながら主人の運転する車で市民病院の夜間外来へ。
しかし痛みはやがて引いていき、病院で診察を受けるころには無痛になっていました。
痛みが無くなったので「帰る?」と主人に尋ねると、「一応受けよう」と諭され、診察へ。
夜間外来の先生の見立ては「外傷」
医師からは外傷を疑われました。
若い、専門外の医師だったようです。
私「打った記憶はありません」
医師「念のため、痛み止めを出しておきます。様子を見ましょう」とだけ言われました。
「どこかで打ったかなぁ」と主人につぶやくと「打ったかもしれない、様子を見よう」、そんな会話をしながら市民病院を後にしました。
そして翌日、何事もなかったように生活をしていたのですが、また夜にあの激痛が!!!
とりあえず、いただいた痛み止めでしのいだのですが、「もしかしてこの激痛が毎晩来るなら…死んでしまいそうだ」と恐怖を感じ、翌日、主治医の先生に見ていただくことにしました。
主治医の見立て・原因は放置した副鼻腔炎(蓄膿症)
翌日午前、診察室で事の次第を離すと、「ああ、蓄膿(副鼻腔炎)だね」と先生からの一声。速攻で原因究明されました。
問診で終わってしまった。
先日の夜間外来は何だったのか…。
私が唖然としていると「僕は咽喉科も専門だから」と、夜間外来の先生を何気にフォロー。
主治医の先生は紳士なのです。
しかし「蓄膿で、目の下が痛くなることがあるのですか?」の私の質問には「放置しすぎたね」と一喝。
確かに長期にわたって鼻水が出っぱなしだったのを放置していました。
反省。
その後市民病院の専門医で診てもらうことになり、紹介状を書いていただき、その日の午後に受診することになりました。
これで治る、と半ば胸をなでおろしたのですが、本当の試練はここからなのでした。
薬服用で授乳禁止!?
午後、市民病院で受付をしたのち3時間ほど待たされてようやく受診にこぎつけた私に、耳鼻科の専門医が衝撃の一言を口にしました。
「ああ、授乳中ね。抗生物質を10日間飲んでもらうから、その間母乳は捨ててね。」
!!!えーーー!!??授乳禁止!?
私「先生、ほかに治療はないですか!?」
医師「これがベストです。早く治った方が良いでしょ?」
私「…」
こうなるともう仕方ありません。
その夜、薬を飲む前に最後の授乳をさせて(ちょっと感傷的になりました)、その後、抗生物質を服薬。
長い10日間が始まったのです。
治療開始から終了までの長い道のり
その夜から、授乳できない10日間が始まったのです。
一番大変だった・赤ちゃんの夜中の授乳禁止
一番困ったのが、夜中。
夜中に次女が目を覚ました時、いつもなら私の乳首を口に突っ込んで、私は飲ませながら、彼女は飲みながら再び眠りについていたのですが、それができない…。
仕方がないので起き上がり、だるい体で娘を抱っこして寝かしつける。
ベッドにおく、また起きる。
というお約束を何度か繰り返してようやく母子で再び眠りにつくことができます。
「ああ、こんなことが10日も続くのか」とげっそりした初日の夜。
そしてこの寝不足の夜は、本当に10日間続いたのでした。
赤ちゃんの食事、「10日間をしのぐ」を目的にする
食事も困りました。
ミルクを飲みたがらないのです。
離乳食もおかゆ以外はまだ受け付けない状態でした。
栄養面を考えると本当はミルクを飲ませたい、でも、考えを変えました。
たった10日間だから、栄養面よりも次女の食べられるものを食べさせて、腹を満たすことを優先させることにしました。
当時次女がはまっていたのが、柑橘系でした。
レモンの果肉にかじりつくほどの柑橘好きだったので、家にあったミカンを絞っておかゆと混ぜてみました。すると、食べました~。
でも、おかゆ以外はいくらミカンを絞っても受け付けてくれず、「でも、食べればいい!10日間だけ!」と考えてミカンおかゆを与え続けたのでした。
これがまた、飽きもせず食べること。
その後、「煮リンゴおかゆ」や、「バナナおかゆ」もいけることがわかり、私の治療中、次女の食事は「くだものおかゆ」三昧となったのでした…。
自分の乳のケアも大変
娘が母乳を飲まないので、しばらくするとお乳がカチカチになってしまいました…。
痛い…。
手動の搾乳機は持っていたのですが、どうにも痛みがひどいため使用できません。
結局手絞りで、ボールに出していました。
以前お産婆さんから「母乳は植物にもいい影響がある」とうかがっていたので、絞り出した母乳は、半信半疑で庭の花にあげてみました。
でもよく考えると抗生物質入りですね。
良かったのかな?枯れなかったから、よかったのかも。
「8か月だったからよかったけど、これが5か月の時だったらもっと大変だったな…」と思いながら、熱いタオルでマッサージしたりお風呂でもんだりして、乳腺炎にならないように気を付けました。
一番切ないのは、次女が手で私の乳を触って、母乳を要求する時です。「ごめんね~。お母さんが、鼻水を放置したばかりに…」と情けない謝罪を繰り返していました。
母乳解禁
10日後、再び市民病院で医師に診ていただくと「もう少し続けると確実だけど、母乳あげたいよね?」と優しい問いかけが。
私「あげたいです」と喜びの即答。
…というとこで、治療終了となりました。
抗生物質は長く体にとどまらないそうですが、念のためもう1晩だけ娘に我慢してもらい、翌日から母乳再開しました。
私の喜びもひとしおです。
その後数年たっても副鼻腔炎は再発していなので、薬もよく効いたのだと思います。
まとめ
反省点を挙げます。
・副鼻腔炎・蓄膿症は、たかが鼻水と思わずに早めに治療しておくべきでした。ひどい目にあいました…
・1度目の激痛が主人在宅時だったので良かったですが、私一人だと倒れてしまった時、子供のケアができなくなる恐れがあります。SOSがすぐに発信できるように、携帯は取りやすいところに置いておくべきだと実感しました。
治療中は、私も次女も頑張りました!
長女もかいがいしく次女のお世話をよくしてくれました。こういうときって家族の結束が生まれますね。
ちなみに次女は、10日程度のおかゆ生活では特に栄養失調にもならず、小学生になった今でも健康優良児です。
痛い経験でしたが、学びになる経験でもありました。