先日、小学1年生の娘が「いぃらぁか~の なぁみぃと~ くうもぉの~ なみぃ~」と突然歌いだしました。
一瞬、何の歌かわからなかったのですが、聞いていると「鯉のぼり」だと気づきました。
なぜ!?こいのぼりの歌は、普通屋根より高いのでは、と思った私が尋ねると、
「おばあちゃんに教えてもらった」そうです。なるほど。
歌詞が古めかしくきれいな日本語なのですが、小さい子が歌うと非常に違和感のあるこちらの「鯉のぼり」の歌。少し興味がわきました。
そこで今回は、今ではマイナーになりつつある「(いらかの)鯉のぼり」の言葉の意味や作者について調べてみました。
弘田龍太郎作曲「こいのぼり」とは
「鯉のぼり」
1 甍(いらか)の波と 雲の波
重なる波の 中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる 朝風に
高く泳ぐや 鯉のぼり
2 開ける広き 其(そ)の口に
舟をも呑(の)まん 様(さま)見えて
ゆたかに振う 尾鰭(おひれ)には
物に動ぜぬ 姿あり
3 百瀬(ももせ)の滝を 登りなば
忽(たちま)ち龍に なりぬべき
わが身に似よや 男子(おのこご)と
空に躍(おど)るや 鯉のぼり
作詞:作者不詳
作曲家・弘田龍太郎
「鯉のぼり」は、作詞家が不明です。
作曲家は弘田龍太郎さんで、数多くの童謡を作曲されています。
代表作は「鯉のぼり」「春よ来い」「スズメの学校」「金魚の昼寝」「靴が鳴る」など、き
っと誰でも一度は彼の作品に触れたことがあるのではないでしょうか。
文語調と口語調、二つのこいのぼりの現在
弘田さんの「鯉のぼり」と同じタイトルで有名なのが、屋根より高い「こいのぼり」の歌。
この2曲の大きな違いの一つが、歌詞の文語調と口語調です。
いらかの「鯉のぼり」は書き言葉である文語調、屋根より高い「こいのぼり」は話し言葉の口語調で書かれています。
いらかの「こいのぼり」の1番を見てください。
「鯉のぼり」1番
甍(いらか)の波と雲の波
重なる波の中空(なかぞら)を
橘(たちばな)かおる朝風に
高く泳ぐや、鯉のぼり
美しい日本語ですが、硬い印象は受けますね。少なくとも、現在では幼児が歌うには違和感があります。
しかし戦前まではこのような文語調が文書では主流で、話し言葉に用いる人もいたようです。
戦後にはわかりやすい口語調を使う人が多勢となり、この流れが「こいのぼり」の歌の明暗をも分けたのかもしれません。
意味がすっと入ってくるためか、いまでは屋根より高い「こいのぼり」が歌われることが多くなりましたね。
「甍(いらか)の波」とは?
この歌のはじめに出てくるのが、「いらかのなみ」。
すでに現代語では難しい表現です。
解説すると、まず、『いから(甍)』とは『かわら(瓦)』のことです。
『いらかの波』とは、屋根の上に瓦が波のように重なっている様子を表した、比喩表現になります。
つまりこの歌の一番の意味は、だいたいこうなります。
「鯉のぼり」1番の意味
『波のように見える瓦屋根と、波のように見える雲
それらが重なる間を
柑橘(橘)の香りがする朝風を受けながら
空高く鯉のぼりが泳いでいる』
この歌を歌いながらそんな壮大な景色が目に浮かぶ…のでしょう、当時の人たちには。
歌詞をじっくり見ないと、私には難しい…。
流れるような音で奥深い日本語だと感じますが、当時の幼児や学童はこんな詩的表現を普通に理解したのかと思うと驚きです。
「百瀬(ももせ)の滝」を登ると竜になるとは?
この歌の3番は、こう書かれています。
「鯉のぼり」3番
百瀬(ももせ)の滝を登りなば
忽(たちま)ち竜になりぬべき
わが身に似よや男子(おのこご)と
空に躍るや鯉のぼり
どうやら百瀬の滝を登れば竜になれるようですね。百瀬の滝、どこかにある幻の滝なのでしょうか!?
…と思ったら、どうやら「たくさんの流れの速い場所がある滝」を百瀬の滝というようです。
百(もも)は、たくさんの意。
瀬は、流れの速い場所を指します。
なるほど、試練を経て一人前になる感じですかね。
「登竜門」という言葉をご存知ではないでしょうか。
昔、黄河の中流に「竜門」という激流が連なった滝がありました。
「竜門」を登りきった魚は、竜になれると言われていました。
たくさんの魚が登ろうとしましたが失敗し、鯉だけが見事登り切って竜になることができたのです。
そのことから、「鯉の滝登り」が立身出世とされ、その立身出世の関門を「○○の登竜門」と言われるようになったのです。
鯉のぼりを飾るということは、立派になってほしいという、親の願いなのですね。
まとめ
美しい、文語調の日本語で書かれた「こいのぼり」について紹介しました。
文章をじっくり読みながら意味を理解する、そんな楽しみのある童謡だと感じました。
大人は深読みしながら、子供は今と違うリズムをとりながら、それぞれに楽しめる童謡ですね。