「たなばたさま」の歌には、優しくて風流な印象を受けます。
冒頭に「さ」が多いためだ、と聞いたことがありますが、たしかに「ささのはさらさら」と「さ」が多いですね。
ここに関しては濁音もなく、流れるような音も素敵です。
いったいどんな人がこの詩を書いたのかと調べてみると、「作詞」と「補詞」がいる模様。ん?「補詞」?
そこで今回は「たなばたさま」の歌について、調べてみることにします。
「たなばたさま」の歌
『たなばたさま』
作詞:権藤はなよ 補作詞:林柳波 作曲:下総皖一
1
ささの葉さらさら のきばにゆれる
お星さまきらきら きんぎんすなご
2
ごしきのたんざく わたしがかいた
おほしさまきらきら そらからみてる
「たなばたさま」は大正時代に作られました。
現在では『作詞』が権藤はなよさんで、林柳波さんが『補詞』となっています。
この二人がなぜ『作詞』と『補詞』として記載されたのでしょうか。
じつは諸説あってはっきりしたことはわかりませんが、相当な変遷を経てこの形に落ち着いたようです。
もともとは権藤はなよさんの詩をもとに作られた「たなばたさま」。
しかし、戦争前から戦争中にかけて、多くの子供向けの歌が「国の所有」となり、「たなばたさま」も同様に権藤はなよさんの表記が消されて、「文部省唱歌」とひとくくりにされました。
戦後、多くの作詞家たちの権利を復活させる動きがありました。
それに伴い「鯉のぼり」や「しゃぼんだま」などの多くの子供向けの歌の作詞家の名が復活したのですが、なぜかいくつかの歌については「作詞家」の名が戻りませんでした。
「たなばたさま」もその一つで、はなよさんの名前は戻らなかったのです。
そして戦後しばらくして、なぜか「たなばたさま」の作詞家の欄に、林柳波さんの名が乗るようになりました。
その時歌詞も一部変わるなどし、しばらくは林さんの名で「たなばたさま」は小学校の音楽の教科書にも掲載されました。
しかしはなよさんの存在は新聞などを通して世間に知られおり、抗議の声が上がり、いつしか作詞家は再び権藤はなよさんになり、歌詞も元に戻ったのです。
めでたしめでたし。
…と言いたいところですが、権藤はなよさんの死後にまた「作詞家」の変更がおこります。
それが『作詞:権藤はなよ・補詞:林柳波』で、昭和42年に事でした。
以後はこの形で落ち着き、現在に至ります。
なんとなく戦争も絡めた大人の事情が見え隠れする『誰が作詞家か騒動』の印象を受けました。
私的には譲歩の結末ではないかと思っています。
のきば・きんぎんすなご・ごしきのたんざくの意味は?
大正時代に作られただけあって、言葉の所々が現在と違います。
着になる3つの単語を解説します。
のきば=軒端
屋根の下、軒(のき)の先端(端っこ)当たりのことですね。
ひさしとも呼びます。
昔は軒の長い(深い)家が多かったですね。
最近ではデザインなのか建蔽率の関係か、軒が短い傾向があります。
我が家も数年前に家を建てたのですが、「雨が降っても窓を開けたい時もあるので軒を長めにしてほしい」と頼んだところ、いろいろ渋られて、結局追加料金を取られそうになったので諦めました。
充分な軒のお家、うらやましいです。
きんぎんすなご=金銀砂子
金銀は、金箔や銀箔のことです。
金銀砂子は、金箔、銀箔を粉にしたもので、伝統工芸品(ふすま、蒔絵など)の装飾によく使用されています。前後の歌詞の流れから言うと、「きんぎんすなご=(星々が)輝いているよ」といったところでしょうか。
ごしき=五色
五色とは中国の五行説からきています。
・青(緑)=木
・黄 = 土
・赤 = 火
・白 = 金
・紫 = 水 (もともとは黒でしたが、日本では縁起が悪い色なので紫に変わりました)
土
日
金
水
「いろいろな色」と言わずに「五色の短冊」というあたり、スマートです。
なんだか戦隊ものを思い出しました。
現代語訳すると?
ちょっと私なりの現代語訳を考えてみたいと思います。
1・屋根の軒下に飾られた七夕飾りの笹の葉が、風でさらさら揺れる
空には星が金色や銀色に輝いているよ
2・私が(願い事を)書いた五色のたんざくを
空からきらきらキレイなお星さまが見ているよ
書いていると1番の星は天の川、2番の星は牽牛と織姫な気がしてきました。
織姫は書道の達人なので、私の書いた短冊を見られたら恥ずかしいです。
まとめ
七夕と言えば織姫と彦星ですが、「たなばたさま」にはそのどちらも登場しません。
天の川の記述もないし、年に1度のロマンス的な匂いすらしません。
それでも美しい七夕の様子を思い描けるこの歌、受け継いでいきたいものです。