2018年2月8日、浅草の浅草寺・淡島堂に、針供養をしてきました。
針供養がどのように行われるのか、その様子をシェアいたします。
針供養とは?
日本人は古来、様々な道具に感謝を込めて使い、その寿命が尽きた時も、今までの苦労をねぎらって丁寧に供養をしました。
針もその一つです。
針供養とは、錆びたり折れて使えなくなった針を供養する行事です。
淡島神社や淡島神を祀る堂宇を中心に、全国的に催される風習なのです。
その供養の方法とは、淡島神社に参拝して、柔らかい豆腐・蒟蒻・餅などに刺すのです。
なぜ豆腐や蒟蒻、餅などの食べ物に刺すのでしょう。
それは、「今まで硬い生地にばかり刺して辛かったでしょう。これからは柔らかい豆腐などの中で成仏してください」との意味があるのです。
日本人の日常に使う道具に対する感謝の気持ちがとても表れていますね。
なぜ食べ物に刺すのかというと、お供え物としての意味もあったからです。
また、針供養を通して、針仕事の上達を願いました。
江戸時代、淡島明神の功徳を説いた淡島願人が、「女性の病、苦しみから救ってくださる」と説いたことで針供養の慣習が盛んになって今日に伝わったといわれています
針供養はいつするの?
針供養は、東日本では2月8日、西日本では12月8日にすることが多いようですね。
なぜ、2月8日と12月8日なのかというと、
この両日を合わせて「事八日(ことようか)」というのです。
この日は「事始め(ことはじめ)」「事納め(ことおさめ)」と言い、1年の農作業の終りや始まる日なのです。
その仕事の休養日に、使われなくなった針を供養するということが始まりのようです。
浅草寺・淡島堂の針供養会
20年来使っている待ち針が、錆びたり折れ曲がったりしてしまいました。
いつもだったらそのまま捨ててしまうのですが、ふと針供養が近いことを思い出し、今日(2月8日)行ってきました。
東日本で針供養が有名なのは、浅草の浅草寺です。
浅草寺では2月8日11時から針供養会が行われます。
針供養自体は、終日受け付けてくれるそうです。
今まで針供養をしたことが無かったので、ちょっとワクワクしながら浅草寺に出かけました。
久々の浅草寺です。
去年羽子板市に行ったのが最後だったので、約2か月ぶりです。
…それほど久しぶりでもなかった。
雷門を抜け、仲見世通りを通り、宝蔵門をくぐり、浅草寺の本堂までやってきました。
相変わらず観光客でいっぱいの浅草寺。
しかし、肝心の針供養をしている様子がありません。
尋ねてみると、本堂ではなく、淡島堂でやっているそう。
本堂に向かって左側を歩いていくと、ありました!淡島堂!
こちらが淡島堂です。
奥に「二月八日 淡島明神 針供養会」と書いてあります。
門のところに受付のような場所がありました。
「供養のぬい針1・2本をご用意ください。 その他の針・医療用針容器等お持ち帰り下さい」
とのこと。
過去に針灸の針や注射針を持ってくる人がいたのでしょうね。
私は緑の待ち針2本と、黄色の待ち針2本を持ってきたので、緑と黄色各1本ずつを預け、2本残しました。
入って右側に濃いピンク色の花が咲いていました。
寒桜でしょうか?
その寒桜(?)の奥で、まだ10時過ぎなのに法要のようなことが行われていました。
「魂針供養」と書かれています。
下の方はよく見えませんでしたが、針供養の碑なのでしょうか。
並んで針供養をしました。
40cm×30cmくらいの大きな豆腐に針を刺します。
私の緑と黄色の待ち針もちゃんと刺しました。
分かるでしょうか。
刺してから、お賽銭をあげ、手を合わせました。
みんな写真を撮っていましたね。
テレビ局も取材に来ていましたよ。
その豆腐の1~2メートルくらい左に、こんな灯篭がありました。
立札にはこんなことが書かれていました。
胎内くぐりの灯篭
この石灯篭は「胎内くぐりの灯篭」として江戸時代から有名であったもので、この灯篭の下をくぐることで、子供の虫封じや疱瘡のおまじないとなるとされている。
お子様をお連れでご参拝の折には、お子様にくぐらせてみてはいかがでしょうか
建立年代は不明。
金龍山 浅草寺
ふむふむ。
小さなお子様をお持ちの親御さんは、針供養ついでにぜひくぐらせてみてください。
11時が近づき、だんだん人が増えてきました。
針も、さっきよりたくさん刺さっています。
11時になり、奥の淡島堂で針供養会が始まりました。
私は、用があったので失礼することにしました。
最後に
浅草寺・淡島堂の針供養の様子をご紹介しました。
参拝に行かれる方、淡島堂は本堂の左側にあります。
私の待ち針さん、長い間お疲れさまでした。
たくさんの人が針を持参し、供養するのを目の当たりにして、日本人の優しい心遣いに触れた気がします。
今回、針供養の参拝をしに行って良かったです。
針に限らず、私たちの身の回りの役に立ってくれている道具たちに感謝する心を日々持ち続けることは大事だと思いました。